スカートの下にジャージを履く女子高生
青春だと感じる瞬間は日常のあちらこちらに散らばっている。
置き忘れてきた私の青春は、私が見かけた他人の青春で補完されていく。
馬鹿みたいに寒い日が続く中、颯爽と走り抜ける二人乗りのチャリ。
ペダルを漕ぐ男子高校生の後ろには、スカートの下にジャージを履く女子高校生。
こんな100点満点の光景に、自分を置換させることは出来なかったけど足取りは軽かった。
今日も煙草が美味いのである。
修学旅行後の思い出
私の通っていた高校は、修学旅行がアメリカ西海岸だった。
ロサンゼルスを中心にぐるりぐるりと有名な観光地をバスでまわり、あちらこちらで必ず集合時間に遅れてくる私達に当時の担任は肝を冷やしていたことだろう。
猛省しております。
私立だったこともあり、日頃厳しい校則で縛られていた生徒たちも今回だけはと先生も寛容で、好き勝手に遊び散らしていた。
ゴールデンゲートブリッジでクラス毎の集合写真を撮ったり、どっかの水族館で疲れて寝てたり、一番の休憩時間にあてるねべきバス移動ではおおいにはしゃいで騒ぎ倒したもんだ。
修学旅行も無事終え、帰国した私たちはまたいつも通りの高校生活が始まる。
と、思っていたけれど、私だけが先生に呼び出された。
「集合写真に必ずお前だけ写っていない」
ホラーとか、いじめとかそういうんではなく、まじで集合写真を撮る瞬間必ずどっかに行ってたせいで私一人が絶対に写っていなかった。
その月の広報紙には本来載るべきだったみんなの集合写真は載ることがなく、みんなが思い思いに楽しんでいる写真が載ることになった。
ちなみの卒業アルバムも。
生徒会だかなんかの保護者たちは生徒が必ずみんな写っているかを確認しなくてはいけなかったらしく、私一人が必ずいないもんだから大騒ぎになったらしい。
担任に軽く説教され、学年主任にはどつかれたがそれはもう昔昔のおはなし。
高校野球に湧いていたJKはどこへ。
夏になると甲子園がはじまる。
甲子園がはじまると夏になる、どっちでもいい。
今年甲子園のテーマソングとして起用された髭男の宿命(ブラスバンドバージョン)は元吹奏楽部だった私には、ついついなつかしく うらやましく かなしく うれしくなる動画だった。
Official髭男dism - 宿命 (Brass Band ver.)[Official Video]
甲子園というのはいいものだ。
日本の高校球児たちはみなここを目指し毎日努力していると想うだけでも少し涙が溢れてくる。吹奏楽にも普門館というもんがあるんだけど、なんかそこまでポピュラーじゃないし、サッカーとか全国大会いつやってんのか私は知らん。
あんな大々的に行われ、興味がなかろうがTVをつければやっているのが甲子園なのだ。
私自身甲子園、高校野球に興味が湧いたのは吹奏楽部に所属してから2年生になってからだった。県でもたいして結果を残さない野球部と無名吹奏楽部だったもんだから、夏になると外に駆り出されるめんどくさいイベントくらいにしか思っていなかった。そんな母校も2年の夏(3年も)、ちょっといいところまでいった。
あのワクワク感はすごかった。みんなで野球を応援する楽しさと、野球のルールを把握してから、攻守交代のアツい戦いに燃えたものだ。
それは私だけではなかった。応援に駆り出された生徒みな同じ気持ちであっただろう。
女の子たちはわーきゃー浮かれていたもんだ。
あんだけサッカー部のイケメンに遊ばれていたあの子も、いつしか野球部の漢たちに夢中になっていた。
夏は終わる。
あんだけ湧いていた野球ラブな彼女たちはいつのまにか消えていった。
夏が始まる前に突然前の彼氏と別れ、野球部の後輩と付き合いだしたあの子も、夏が終わって別れた。
ちやほやされていた野球部員たちは試合終了とともにただの男子高校生になった。
あれだけ厳しい部活のルールに3年間も縛られ、伸ばしたくても伸ばせない髪を我慢し、坊主で在り続けた彼らに残ったのはちょっぴりの筋肉と黒く焼けた肌だけだ。
あの夏についてみなもう触れることもないし、野球そのものに触れることもない。
まるであの時の記憶がまるまるぶっとんだじゃないかってくらい何事もなかったように暮らし始める。
甲子園を目指した野球部を応援していた彼女たち(及びに教員や男友達)は、都内で消費されるタピオカのように「野球を応援している私」というステータスを買っていただけだった。
あんまりだ。
私は甲子園をみながら、高校時代を思い出しソファーでクッションを涙でぬらした。
テーブルの上に鞄を置く
20数年生きていますが、まだ若い若いと言われる事もあれば、後輩には老害だとかおっさんだとか老けただあとか言われるようになった。
生涯、このやれ若いとかやれ老いたなんてどうでもいいことを話題にされると思うと憂鬱な気持ちになるからみんな年齢を隠せばいいと思う。
この人生の内、4年間程同じ飲食店でバイトをしていたんだけど、人が飯を食うためのテーブルに鞄を置くやつは何なんだろうと。
年齢関係なしに、テーブルに鞄を置かれると謎に腹が立つ。
なんでだろうね。
知らないや
「自分結婚一生できないわ笑」
自由恋愛って聞くとなんだか良いように見えるというか、今じゃ当たり前じゃんって思うかもしれない。自由恋愛主義って調べてみればわかるんだけど、なんとなくだけ捉えているモノが少しズレてる気がしますね現代。
私たちがなんとなく生きているだけでも、新しい世代の子供がうまれて、ジジイババアは息絶え、そんな仲良くもなかった知り合いが結婚したことをSNSで知ったり、中学で学内きってのいじめられっ子が2児のシングルマザーになってたり、毎日電車に人間が飛び込むわ、包丁振り回して警察から逃げまくる輩が出るわ、魚雷がぶち当たるわ、核兵器がどうだ戦争がどうだとなんでこうもややこしいんだと思うわけです。
一方で渋谷や、原宿を歩いていれば性欲が毛先から溢れ出したバカがちんたら歩いてたり、アルコールで体内が侵された30そこそこのババアが路上でひっくり返って寝ていたり、憧れの東京にやってきた関西弁ヤンキーはぶいぶい道を塞いでのさばっている、流行り廃りの激しいトレンドに乗っかる女の子たちはクソ長い行列を成してインスタ開いてるのを見かけるのです、なんて幸せな事でありますでしょうか。
眼の前の欲に溺れることで、人はどれだけ幸せになれるのかと。
物が溢れかえる街でこそなせる消費・消費・消費。
それだけ人の多い環境に馴染んだ場合、人そのものも消費するコンテンツの一部になるんでしょうかね。愛のないセックスなんつーのは別に良くって、望まない妊娠、出産もそれにあたるんじゃないかな。
「一生結婚できないわ笑」、が飛び出てくるのは貴方のせいではないと思う。手の届く範囲にすべてが揃っているから。羨ましいっすね。
女子大生みんな消えてくれ。
「君の名は。」を観たことがない
令和元年を迎え、平成という時代が終わった。
平成に生まれた私は、このまま平成は続き、そのまま平成の内に死ぬもんだと思っていた。
元号なんてどうでもいいわ、書類に生年月日なんかを記入するとき西暦があるのになと不自由で仕方がないわと常々思っていた。
だからこそ意識的に意識してこなかった平成の終わり、新しい元号の始まりに大きな劣等感が生まれてきた。
平成のうちに、10代のうちに、20歳には、と日本社会に生きる大多数が経験しておくことをからっきし斜に構え放棄したら無の大人になってしまった。
制服ディズニーなんてのもその一つ。
高校を卒業した連中は、大学の仲間内でわいわい集まり、当時の制服を各々着用してディズニーに遊びに行く。
めちゃくちゃどうでもいいじゃんそれ。
でも私はそれを経験することなく23歳になってしまった。
いまさら制服を着てディズニーランドに行こうものなら、不審者の極みである。そもそも高校の制服はとうの昔に処分し、それを叶えることすら物理的に不可能になってしまったのだから。
制服ディズニーは大多数経験していなだろと思う方もいらっしゃるだろうが、少なからず関東圏内に住んだ私ぐらいの人間は半数くらいが経験している。
私が私たらしめるのは、私の周りの環境なのでここだけは異論を認めないつもりだ。
こういった例を挙げるとキリがない。
ニンテンドーDS、PSP、モンハン、ポケモン、FF、ドラクエ、TCG。
私達の世代なら一度はハマった文化をいろんな理由で経験できずに大人になった。
他にも平成に大流行した映画を幾つか観ることなく令和を迎えてしまった。
一つは「アナと雪の女王」
二つは「マーベルシリーズ」
そして「君の名は。」
辛うじて「カメラを止めるな!」は観た。
ちなみに「ズートピア」も観た。どっちも良かった。
「アナと雪の女王」は観る機会はなんどもあった。
映画を観に行こうと誘われた。用事があって断った。
高校の合宿のバスで2度も流してた。2度とも寝た。
金曜ロードショーでやってた。ゲームしていて観てなかった。
何度もそのチャンスを逃し、だからといって自分から観ようと行動も起こさなかった。
マーベルシリーズはそもそも何なのかよくわからない。
アメコミは版権がいろいろややこしくて、同じっぽいのに全然違うしわけわからん。
そもそも興味がないので努めて観てこなかったが、アレみんなだいすきね。
ココらへんは映画の話題になると必ず一回は上がってくるけど、全く話についていけないよ。
一斉を風靡した「君の名は。」。
これはもうさっぱり知らない。トレーラーだけちと観たけどさっぱりわからん。
入れ替わってる~~~~の件は、友人らと何度かやってきたがぶっちゃけ知らん。
RADの曲はよく聴いたけど、歌詞をちゃんと読んだこともないのでストーリーは想像もつかない。
先日、いろいろあって新海誠監督の作品を初めて観た。
「ほしのこえ」というやつだ。所謂セカイ系といわれるジャンルのアニメで、ストーリーは明らかにされていない点が多く、好きな人は好きなんだと思うけど、すっきりさっぱりしたのが好きな者にとってはむず痒く後味の悪い短編アニメーションだった。
新海誠の作品をすべて観てきたという知人から「だいたいあんな感じ」と意見を頂き、今後よっぽどのことがない限り自分から観ることはないと思った。
でもそれだけの文句をこのブログに綴るのはあまりにもったいないし、暇なのでもうちょいなんか書きたい。
なので今から私は、たった一作しか観ていない新海誠作品から、全部似た感じという意見とRADWIMPSのあの主題歌を参考の元に「君の名は。」の簡単なストーリーを想像して行こうと思う。
「前前前世」
ほしのこえから察するに、主な登場人物は少年と少女の二人。
あの青年(名前知らない)とあの少女(左に同じく)だ。
RADの前前前世というタイトルから観てお互いは同じ時間軸の世界に生きておらず、入れ替わりを通して互いが惹かれあっていくので間違いないだろう。
青年は高校生、何年生かわからないのでとりあえず中間の2年生ということにしよう。
少女も同い年でしょ。
お互い17歳ね。
新海誠、1歳差2歳差とかめちゃくちゃ嫌いそうだから。
青年側の世界は現代です。都合が合わせやすそうだし、感情移入しやすい。
問題は少女だ。
時間軸をずらしたストーリーなんだから、彼女は過去か未来の人間だ。
でもあれだよね。前前前世だもんね、過去だろう流石に。
前前前世はおっしゃる通り3度転生しているので、過去3度見事に徳を積み奇跡的に人間に輪廻転生し、まっとうな人生を送っていたと考えればおよそ160年くらい前の人間だ。
1850年くらい。ゴリゴリの江戸時代に女子高校生っているの??
江戸時代の女子高校生がなんで制服着用してんの?
考えるの飽きてきたわ。
眠いわムカついてきた。
なんだよ、観るか君の名は。
いや観るもんか。