現役Virtual女子大生

架空の人物は叩いても怒られません

一番偉いやつ。

継続は力なり

雨だれ石を穿つ

あと何か似た何か、継続していれば成功するという諺やら慣用句は多分沢山ある。

努力・継続を積み重ね、いつかは報われる。そういう事らしいけど、別に成功や見返りを求めず何かをずっと続けてるやつがいるし、一生懸命続けてもなんの評価も得られないこともある。

 

何事も続けてるやつが一番偉い。それだけです。

 

就活、終活

今日もまた一つ面接が終わった。

お祈りメールを待つだけだ。

 

落ちると分かってるのに、朝起きて、髪型を整え、スーツに着替え、PCの前に座る。

起きるまえ、バックレてもいいかなって、そう思います。

もう諦めても良いんじゃないかなって、誰かが言ってくれれば良いのに。

 

小一時間かけESを書き上げ、小一時間かかる適性検査を終える。そこで落としてくれればいいのに。どうせ次の面接で落とすんだから。

 

たいした資格もなく、たいした経験もない。話すことは苦手だ。適性検査なしとか、選考直結とか選べばいいけど、変なプライドが捨てきれずにいるせいだ。このままでは無職もあり得る。焦りはないけど、只管に家族や友人へ申し訳無い気持ちが募る。

 

ああまだ私の就活は終わらない。

何事も早めの行動を。終活についても学ばなくては。

20より19、18より17

この不平等な世界で生活する生き物として、奇しくも平等に与えられてしまった時間。これが一方通行であり、取替しのつかないものであることは周知の事実であります。

これを読む方々がどれ程の時間を過ごしてきたか、そんな事はわからないけど、貴方が干支を2周分した年齢であれば私と同じ時代を生きてきた同期になりますね。

好きな作曲家が同い年だったり、最近流行りの曲を年下が歌っていたり、着実に大人の仲間入りをしていると感じる今日この頃。

人生の大きな節目とも言える18歳と20歳を迎えた時の事なんてたいして覚えていなかったりするので哀しくなってしまいました。それでいて17歳と19歳の時なんて更に何も覚えていないのに、とてもエモーショナルな気持ちになるのはなんのせいなんだろう。

 

 

 

学生気分のやり直し

リモート講義を受ける中、ただでさえ学年がダブり、感染症問題以前に知人を作ろうともしなかった私は人生最後(になるであろう)学生生活を独りで過ごしております。

元々ダブる前も、同学内には友人と呼べる友人は人っ子一人も居ないのですがね、ここ3年自分の大学の人間と連絡を取ったこともないのです。何故だか学内に友人を作ることを異常なまでに避けていました。今では困った事ばかりです。

とはいえ大学で知り合った友人は人並みには、という具合いでありまして、それなりに「知人は多い」人間をやらせて戴いております。インカレサークルで知り合ったキッカケによる友人です。

私の大学生の青春は全て他大学のモノで、そんな思い出たちは私の本来のテリトリーではない全く別の土地に置いてきてしまいました。引退をしてしまった今、誰に会うわけでも無いのに他大学に足を踏み入れることに抵抗があります。卒業生でも現役生でもなければサークル員でもない、私は金輪際あの思い出の土地に入れないのだと思うと少しかなしい気持ちになるのです。

しかしこうして出来た縁。友人は大切にしたいもの。そんな中で現在も他愛もない連絡を取り合う仲の人間は、何故か一個上か一個下ばかりであり、巡り合わせというのは不思議なもんだと再認識いたしました。それとも私の人間性に何らかの難があり、同級の人と繋がれないのかもしれませんね。

 

思い返せば現役でサークル活動をしていた際、私はみんなより一歩下ったトコロに立つ人間であったと思います。はっちゃける皆をできる限り見守らなくてはという意識の上でそうであったのかもしれないし、私がそっち側に成るのが恥ずかしいという意識もだいぶあったはず。

何十人何百人と平気で所属していた団体でありましたから、十人十色有象無象様々な人間がいたと思います。そんなトコロではっちゃける側の人間に成れなかった事を今私は悔いているのです。

あんなごちゃごちゃした空間で、恥がどうとか、迷惑がどうとか考えることすら不要だったのでは。

私と同様に一歩引いたトコロで見守るタイプの人間なぞ巨万と居た。あの日あの時あの場所で、私がそのタイプに回らなくても、あの飲み会は普通に成立したのだ。「側の気持ち」は側に移らなくて分からない。

店に迷惑かけたあいつらの気持ちも、女性にしょうもないセクハラしたあいつらの気持ちも、ベロベロな状態で私を蹴ってきた見知らぬあいつの気持ちも、私が一歩下ったトコロに居たせいで味わえなかった。

 

もし私が人生をやり直せるのなら、最初からとは言わないから、あの飲み会ではしゃぐところからやり直させてほしいと願うのです。

 

下戸な私ではありますが、コロナが収束したらまた皆で汚え居酒屋で煙草を吸いに参りたい。そのときは、いつも通り一歩下ったトコロでみんなを介抱することでしょう。

世間知らず・Wi-Fi有らず

ちゃんと考えればわかることだった。

 

あの時から会話で感じる微妙な違和感の答えがそれだった。

 

私がいかに世間知らずであるか思い知らされたのだ。

 

日本の家庭ではほぼ100%でインターネット環境が整っているものだと思っていた。

 

水を通す水道、電気を通すコンセントプラグ、停電しても繋がる電話線。

「家」と呼ばれるものにはすべて、少なからず日本に置いて人間が住む居住スペースにはこれらと同じくらい至極当たり前のように備わっているものだと。

 

ついさっきのさっきまでのことである。

 

幼い頃からインターネット環境が備わっていた事。

早い段階で無線LAN(今では考えられないくらいよく切れるし遅いもの)が我が家では導入された。

ネットが金のかかるもんだと言うのは電話回線を使っていた頃に痛い程学んでいたけれど、それでも我が家の生活には欠かせないものであったからみんなの家庭にも絶対あるものだと思いこんでいた。

うちは裕福な家庭ではない。ゲームも買ってもらえないし、好きな習い事もやらせて貰えなかったから、そんなうちにあるもんは他の家にはもっと立派なもんがくっついてると思っていた。

 

時代は代わり現在。令和2年である。

コロナにより在宅ワークやオンライン授業についてあれこれ議論されている。

 

そりゃー確かにこんだけネット繋ぐ人が同じ時間に増えると回線が大変なことになるだろうなくらいは考えていたけど、大学講義のオンライン化になんでこんなにぐだぐだしているのだ。

家庭にネットワーク環境が整っておらず、通信回線を使わなければならない。なるほど。

私はここで初めて知った。

 

どうりで通信制限に爆速で引っかかるやつがいるのか理解できた。

家から出ずにYoutube観てけど制限やべ~とか言う友人に私は「Wifi切っちゃったまま観てたりすることあるよね」とか言ってたわ。だから話が少し合わなかったのだ。

個性が強い社員です。

個性が強い。

うちら個性強いじゃん。

俺って変わってるじゃん。

 

とかいうのが嫌いです。

友人がそう言ってもうるせーーーーって言うくらいには嫌いですが、だからといって絶対関わらんでおこうと思うわけでもないのでご安心ください。そのセリフは認めます。

 

就職活動をする身として企業選びは死ぬ物狂いの日々です。

ある程度の軸を据え、選別していても掃いて捨てるほどの会社が出てきます。

とはいえ私は優秀な人間ではないので有名大企業なんかは困難でありますが、それでも沢山あるんです企業っつーもんは。

財閥化してしまえ。

 

WEBサイトをみたり、採用SNSを観たり、WEBセミナーを聞いて「我々社員は個性が強く」なんて言ってる会社はみないことにしました。大中小問わず。

ある程度気が楽になりました。

 

就職活動中の学生はぜひ参考にしてみてください。