現役Virtual女子大生

架空の人物は叩いても怒られません

学生気分のやり直し

リモート講義を受ける中、ただでさえ学年がダブり、感染症問題以前に知人を作ろうともしなかった私は人生最後(になるであろう)学生生活を独りで過ごしております。

元々ダブる前も、同学内には友人と呼べる友人は人っ子一人も居ないのですがね、ここ3年自分の大学の人間と連絡を取ったこともないのです。何故だか学内に友人を作ることを異常なまでに避けていました。今では困った事ばかりです。

とはいえ大学で知り合った友人は人並みには、という具合いでありまして、それなりに「知人は多い」人間をやらせて戴いております。インカレサークルで知り合ったキッカケによる友人です。

私の大学生の青春は全て他大学のモノで、そんな思い出たちは私の本来のテリトリーではない全く別の土地に置いてきてしまいました。引退をしてしまった今、誰に会うわけでも無いのに他大学に足を踏み入れることに抵抗があります。卒業生でも現役生でもなければサークル員でもない、私は金輪際あの思い出の土地に入れないのだと思うと少しかなしい気持ちになるのです。

しかしこうして出来た縁。友人は大切にしたいもの。そんな中で現在も他愛もない連絡を取り合う仲の人間は、何故か一個上か一個下ばかりであり、巡り合わせというのは不思議なもんだと再認識いたしました。それとも私の人間性に何らかの難があり、同級の人と繋がれないのかもしれませんね。

 

思い返せば現役でサークル活動をしていた際、私はみんなより一歩下ったトコロに立つ人間であったと思います。はっちゃける皆をできる限り見守らなくてはという意識の上でそうであったのかもしれないし、私がそっち側に成るのが恥ずかしいという意識もだいぶあったはず。

何十人何百人と平気で所属していた団体でありましたから、十人十色有象無象様々な人間がいたと思います。そんなトコロではっちゃける側の人間に成れなかった事を今私は悔いているのです。

あんなごちゃごちゃした空間で、恥がどうとか、迷惑がどうとか考えることすら不要だったのでは。

私と同様に一歩引いたトコロで見守るタイプの人間なぞ巨万と居た。あの日あの時あの場所で、私がそのタイプに回らなくても、あの飲み会は普通に成立したのだ。「側の気持ち」は側に移らなくて分からない。

店に迷惑かけたあいつらの気持ちも、女性にしょうもないセクハラしたあいつらの気持ちも、ベロベロな状態で私を蹴ってきた見知らぬあいつの気持ちも、私が一歩下ったトコロに居たせいで味わえなかった。

 

もし私が人生をやり直せるのなら、最初からとは言わないから、あの飲み会ではしゃぐところからやり直させてほしいと願うのです。

 

下戸な私ではありますが、コロナが収束したらまた皆で汚え居酒屋で煙草を吸いに参りたい。そのときは、いつも通り一歩下ったトコロでみんなを介抱することでしょう。